クラウドブログ

2026.05.26 日本のデジタル産業への貢献 ─ 津田邦和の軌跡1

特集 ── 日本のデジタルインフラの歩み

津田博士の30年
日本のクラウド・データセンターを創った軌跡

AI時代に突入し、クラウド・データセンターという言葉が日常的に語られるようになりました。この産業を30年かけて育ててきた研究者の歩みと、次世代へ受け継ぐべきものを記します。NCRI熊谷でございます。2011年に入社した当時、IT企業ですら「データセンター」という言葉を知らず、データセンター事業者の経営層でさえ電力コストのインパクトを把握していませんでした。クラウドに至っては、日本のITベンダーの経営層から猛反対を受け、理解を得るまでに多くの時間を要しました。それでも、当時すでに情報産業赤字が600億円弱に達していることを総務省と共有し、国内で稼げるビジネスモデルであること、そして将来性ある重要産業であるという確信のもと、普及活動を続けてまいりました。あれから30年。その活動がようやく実りを見せ始めていることは、この上なく嬉しいことです。しかし同時に、新たな課題も顕著化し始めています。課題についてお話しする前に、まずはこの30年の軌跡を振り返り、先人たちの努力と情熱を知っていただいたうえで、次世代の皆様に引き継いでいただきたいと考えております。

Chapter 01

出発点

札幌から始まった、未来への問い。

津田 邦和

TSUDA Kunikazu, Ph.D.

システム設計学 クラウドコンピューティング データセンター設計

電気通信大学 経営工学科 卒業
電気通信大学大学院 情報システム学研究科
博士課程修了 / 工学博士(Ph.D.)取得

主な専門領域

  • インビジブルコンピューティング研究(のちのユビキタス)
  • クラウドコンピューティング・DC設計
  • デジタル通信プロトコル標準化
  • 国際特許取得(タッチパネル・VC)

1980年代より、インビジブルコンピューティング──後に「ユビキタス」と呼ばれるこの概念を誰よりも早く研究し、社会実装の道を探り続けた。動的HTMLによるアプリケーションサービス研究、大型光センサータッチパネルの研究開発と国際特許取得、ビデオコンファレンスシステムの開発・特許取得等を実施。それらと並行して、TTC(電信電話技術委員会)のデジタル通信プロトコル国際WG委員として、北米・西欧との技術標準策定にも参画してきた。

「インビジブルコンピューティング」──後に「ユビキタス」と呼ばれるこの概念を、誰よりも早く研究し、社会実装の道を探り続けていた。

Chapter 02

産業創造

ASPICの創設と国内クラウド元年。

1996年から国内クラウドとDCの研究開発・普及活動に本格的に乗り出す。友人とともに立ち上げた国内最初のクラウド業界団体「ASPIC(ASP・SaaSインダストリ・コンソーシアム)」は、日本のクラウド産業の最初の礎となった。

※当時はクラウドではなく「ASP」と呼ばれていた。「クラウド」に至る遍歴についてはこちらを参照。

ASPIC 常務理事・初代技術部会長・初代DC研究部会長

業界の枠組み・技術基盤・ガイドラインを策定。学術界・産業界を横断する業際的研究開発と標準化活動を主導。

総務省 政策展開への参画

ASP・SaaSセキュリティ研究会委員、ASP・SaaS国際連携委員会副主査、グローバル時代におけるICT政策TFメンバーとして、日本のクラウド政策の枠組みを基礎から形作った。

クラウドの定義を策定・国際基準として共有

クラウドの定義策定と国際基準化を主導。実は日本が世界に先駆けて定義を策定した。

総務省セミナー 全国展開

自治体クラウドの総務省セミナーにて全国約5,000名の受講者に講義を行い、クラウドの普及啓発に大きく貢献。

1997〜2006年 ── 10年間で講演500回以上

日本のクラウド黎明期を主導。500回以上の講演・教育をこなした。

自治体クラウドガイドライン

国内最初の「自治体クラウドガイドライン(SLA策定含む)」を策定主導。多くの部分を自ら執筆・編纂。

クラウドセキュリティガイドライン

「クラウドセキュリティガイドライン」「データセンター開示項目ガイドライン」の策定を主導。

中小企業向けSLAガイドライン

経産省の展開開始後、「中小企業のためのSLAガイドライン」の策定を支援。

政府クラウド国際会議 事務局主幹

政府クラウド国際会議の事務局を主幹として担い、日本のクラウド外交の礎を担った。

日本が世界に先駆けたクラウドの定義

現在ではパブリッククラウドのみがクラウドと位置づけられることが多いが、当初の定義は異なっていた。津田博士が主導した定義策定は国際基準としても共有され、日本が先行していた事実は今も重要な意義を持つ。

Chapter 03

産業構造の変革

大手ITベンダー・SIerのクラウドシフトを支えた30年。

1990年代後半から2000年代、日本のDC事業者(当時は「電算センター」と呼ばれていた)、大手ITベンダーやSIerの多くは、受注・開発・納品というゼネコン型モデルを主軸に置いていた。クラウドという概念は当時、業界の多くから「脅威」として警戒されるか、無視されるかのどちらかだった。

そうした環境の中で、ASPICをはじめとする業界団体の仲間とともに、クラウドの「基盤としての重要性」を産業界に伝え続ける活動を地道に続けてきた。大手ITベンダーやSIerとの対話は、単なるセミナー登壇にとどまらず、各社の担当者・経営層と長期にわたって向き合う形で積み重ねてきたものだ。

「受注して作って納品する」から「基盤を持ち、サービスとして提供し続ける」へのシフトは、業界全体の関係者が議論を重ねながら少しずつ実現してきた変化だ。

── クラウドシフトへの道のり

クラウドシフトは業際的であり、一人で成し遂げられるものではない。業界団体・政府・大学・民間企業の仲間たちと議論を重ね、20年以上かけて積み上げてきた、多くの人々の貢献による変化だ。その後、現在の会社を立ち上げ、クラウド研修・経営トップレクチャ・SE・営業研修を通じ、現在までに延べ約2万人の民間企業人材と向き合ってきた。

40年+
IT・通信技術の
研究開発
30年+
大手ITベンダー・SIer
事業戦略コンサル
政府・自治体クラウド政策参画
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人材育成・研修
5名+
自治体クラウド
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2026年現在も継続中 ── これらは過去の活動ではなく、現在も最先端のクラウド基盤開発受託・プロ向けの教育・DC基本設計等を受託・実施中です。

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